美|【中国特集】情熱大陸中国へ

目指すは楊貴妃?中国で健康美を手に入れる

古来より中国では、容姿の美しさは体全体の健康の現れだと考えられ、美容のために数々の生薬を用いてきました。漢方(内服と外用)、食事療法(薬膳)、はり、灸、あんま、気功など、体全体の調子を整えるトータルの療法が、美を保つのです。顔のシミ、シワ、ニキビ、皮膚の乾燥などの肌の悩みは、身体の不調和の表れだとされ、その治療法がすでに2000年も前の医学書に記されています。漢方薬の処方は肌に塗るものだけでも10万以上!そのうち少なくとも10%は、肌トラブルや虫さされなどの症状の処方です。
ということは、漢方は美肌の救世主!悠久の歴史の中で磨かれてきた漢方美容をチェックしてみましょう。


漢方コスメとメイクの歴史

中国の文献に最初に記された化粧品はおしろいです。米を細かく砕いて粉末にしたものでした。それに紅花を加えたものがほお紅になりました。シルクロード経由で美容効果のある薬草や食物、インド医学などが次々に伝来し、漢方医学の発展が加速しました。

国民が豊かな暮らしができるようになった随や唐の時代には、女性たちの関心ごとはもっぱら美容。化粧品はおみやげとしてあげたりもらったりされるようになり、美容師という職業も生まれました。

宋の時代には生薬加工技術の発展により漢方化粧品の質が格段に高まり、中国の化粧品は外国に輸出されるようになります。先秦から清の時代に出された数百種類の古典医学書の中には、美容に関する処方が2000以上も記され、天然化粧品のバイブルとされています。

古代中国の宮廷美容

中国伝統の美容法の中でも特に、宮廷美容は漢方美容の最高水準を極めたものです。
紀元前800年頃、商周の時代には「婦容」という貴婦人たちの美容美化を管理する職がありました。かの楊貴妃のために処方された洗顔剤は、使用後「悦面色如桃花、光潤如玉(桃のような顔色で、玉のように美しく)」なったと伝えられています。

西太后が使っていたおしろいは、極上の米を微細に砕いて使用していたようです。ほお紅は生花のバラや桃の花びらから作られたもので、自然で優雅な香りと美容作用がありました。また、絶大なアンチエイジング効果があるという淡水真珠や母乳を飲んで、70歳のとき40代にしか見えなかったと伝えられています。

工程をも夢中にさせた美の基準とは?

世界三大美人の一人といえばご存じ、楊貴妃。彼女が生きた唐の時代、美人の基準は、ふっくらした体つきと切れ長の目に小さな口。楊貴妃も当然この基準を満たしていたでしょう。さらに『長恨歌』で次のように賛美しています。

温泉水滑洗凝脂滑らかな温泉水がむっちりとした白い肌を潤す

雲鬢花顏金歩搖花のような顔立ちで、豊かな黒髪に金のかんざしが揺れる

芙蓉如面柳如眉芙蓉の花のような顔立ち、柳の葉のような細い眉

回眸一笑百媚生瞳を巡らせて微笑むと何とも言えない艶かしさが生まれる

雪膚花貌雪のように白い肌と花のように美しい顔

時代や場所によって美人の基準は違いますが、ともあれ、これほどまでに賛美された楊貴妃は、幸せだったに違いありませんね。たとえどんな悲劇的な最期を迎えようとも…。

楊貴妃はいったいどんな悲劇的な最後を向かえたのでしょうか? >>

漢方フェイシャル&ボディケア

四千年の歴史を誇る漢方を応用したフェイシャル施術に、さらに薬膳指導を行うなど、みずみずしい本来の肌に戻すために、体の内外からケアしてくれます。また、ボディケアは、心身の本来のバランスを取り戻すリラクゼーションタイム。疲れが取れ、心と身体に安らぎが与えられます。

足裏マッサージ

中国でも5千年前からすでに足裏マッサージが行われていたようですが、今のスタイルの足ツボマッサージが普及したのは、1970年代の台湾。スイスからやってきた宣教師が広めたリフレクソロジーがもとになっているようです。

昔から足の裏は「第2の心臓」と呼ばれてきました。リフレクソロジーは、足の裏には人間の体の各器官、臓器に反映する神経の反射区があるという考え方で、反射区を刺激すると、その箇所に対応した器官や臓器の働きが改善されるなどの効果があるとされています。手軽で簡単な健康法として、今や世界で大人気の健康法です。

定期的にマッサージを行うと、免疫力もアップし病気の予防にもなるとか。日頃からマッサージクリームを使用したマッサージを受けると、当然、お肌のもすべすべ感が違ってきます。もちろんリラックス効果も抜群!

チャイナドレス

ルーツは満州族女性の正装

チャイナドレスは、満州族の女性が着ていたチーパオという丈が長くゆったりとした衣装が起源です。女性貴族たちの正装は真ん中分けにして結った髪に六角形の形をした飾り物の帽子、10センチ程のヒールのついたラッパ形の靴で、地位によってデザインや図柄などが細かく決められていました。清の時代、満州族が中国全土を支配したため、この服装が広まりました。

それが、中華民国の時代になると新文化運動の影響で徐々に新しいスタイルのチャイナドレスが現れるようになっていきます。初期には、ゆったりとしたラインで、広い袖と右開き右大襟のデザインが主流でした。また、ズボンもはくのが一般的でした。

西洋文化の影響を受け、よりファッショナブルに

1930年代は西洋文化の影響がチャイナドレスにも現れ、体の線をいかに美しく見せるか工夫されました。生地は色柄とも豊富な種類が揃い、レース、プリーツ、洋風のボタン、リボン、肩パッドなども取り入れられ、袖なしのデザインも出ました。デザインの自由度が増すにつれて、チャイナドレスはますます身近になり、多くの女性に愛されるようになります。西洋のミニスカートやストッキング、ハイヒールが広く普及したこともあり、チャイナドレスもより短くなりました。この頃がまさにチャイナドレスの黄金時代だったといえるでしょう。

1940年代、日本軍の進出により中国経済は行き詰り、物資は乏しくなっていきました。節約の為、チャイナドレスもできるだけ生地を使わないよう工夫されました。中華人民共和国の時代になると、チャイナドレスを着る機会はお祭りやイベント、政治家の外交活動のときなど、極端に減りました。
1960〜70年代の文化大革命期には、中国の服装は軍服や中山装などになりました。服の仕立てに使う生地は紺、灰色、黒くらいでしたが、そんな時代にあっても女性たちはお洒落心を失わず、手刺繍を施したりしていました。


洗練された美しさで女性たちの個性を表現

1980年代になると、改革開放政策により再びチャイナドレスの文化がよみがえります。デザインはより女性の美しさを引き出すよう研究され、さらに洗練されました。チャイナドレス誕生から半世紀。この間、女性の地位は大きく向上し、チャイナドレスに対する価値観も大きく変わりました。

美しく着飾るためだけではなく、自分を表現する方法としてチャイナドレスを選ぶのです。今では礼服として着用されることも多くなりました。イベントやパーティなどの正装から、おしゃれな普段着としてまで、チャイナドレスは大活躍しています。